ikkou33’s diary

還暦を越えて( ´Д`)y━・~~

何が幸せであるか?

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作家の保坂和志氏が、好きです。彼の考え方、彼の芸術観、彼の小説観は、いつも感心させられます。小説は、読んでいる時にしかない。読んでいる間に、読み手の中にどれだけエモーショナルな感情を湧き上がらせるか。突き動かすものが多ければ多いほど、その作品は読み手にとって、有意義な作品なのだと述べいます。読書とは、作者と読み手とが一緒に作る芸術空間の謂いなのだ。どんな傑作でも、それを受容する力がなければ、無意味な作業となるだろう。傑作ほど、こちらの力を試される作品は、ない。

その保坂さんが、キリスト教についてのエッセイを書いておられた。以下に引用いたします。⤵︎

先日、好きな作家である保坂和志氏が

新教出版社の福音と世界の10月号に、エッセイを寄稿しているのを読みました。保坂さんはクリスチャンではありません。そのエッセイを引用します。

「人が祈りや善行をなしたからといってその故に、祈りも苦行もなさない場合よりもその人に対して神がより慈しみ深く優しくなり給うことは決してないのである。」

  これはエックハルトの説教集の一節だ。私は全体の文脈を理解していないのかもしれないが、エックハルトの本でひんぱんに出会うこの考えに私は信仰のリアリティを感じる。

  報酬の有る無しが問題なのではない。信仰を持っていること、祈りができること、それ自体が幸せであり恩恵なのだーこれは真に芸術に関わる人ならわかるはずだ。社会的な名声を得ることが目的ではない。芸術という行為には到達点はなく、祈りと同じように、生涯を通じてそれをしつづけられることこそが、芸術家に与えられた恩恵なのだ。

トンネルを抜ければ

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小説を書いている間は、深い海の底にいる様で、だから書こうとすれば、その新海めいたところまで降りて行かなければならない訳で、日常の世界から、そこに行く為に、家を出て、トボトボ歩いて、コーヒーショップに行くと言う儀式が必要なのだった。仕事中は書ける訳はないから、仕事がない日、掃除買い物洗濯などの家の用事を済ませてから、リュックにiPod とキーボードを詰めて、行っていた。行っても全然進まない日もあるし、思わぬ展開を発見して、喜んじゃう日もあるしで、とにかく創作中は、無我夢中なのだった。そんな事を二ヶ月ぐらいやっていて、今週はじめに書き終わって、静岡のルイさんと、この小説の主人公の文ちゃんに送った。題名からして「文ちゃん」だからね。原稿用紙54枚の短編小説だ。かなり酷い事も書いたけれど、文ちゃんは怒ったりしなかった。逆に私って酷い女だったのねと、しおらしい事を言った。ルイさんは面白いって褒めてくれた事は昨日書いた。

書き終わると、完全に抜け殻状態で、全然力が入らないし、朦朧としちゃっていて、つまらない事この上ない。出来が良いとか悪いとかが問題なんじゃなくて、何かを創作している時が、最も充実している時間なのだって思う。そりゃ本も読みますよ。展覧会にいって絵も見ますよ。音楽だって聞きますよ。出来た作品を読んでももらいたいですよ。でも、人生で一番充実しているのは、創作中の状態だ。書けなくて苦しい事ばかりなのに、その状態が一番楽しい。創作と言う暗いトンネルを抜けたら、廃人ぽくなってしまった。

グロキシニヤ

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仕事をしていると、それだけで、目一杯になり、どこにも目がいかない。休みになり、平日には出来なかったことを、する。

血圧を下げるクスリを飲んだら、身体中に湿疹ができて、痒くて眠れない。辺り一面、掻いていたら、さらに痒くなる。起きてすぐに皮膚科に行く。予約がないから、2時間は待たされたかな?塗りグスリとかなり強烈な飲み薬を処方される。病院から帰り掛けにスーパーによりコメを買う。昼メシは、うどんにする。卵とかき揚げと長ネギの薬味。それから洗濯。洗濯を干し終わる頃、静岡のルイさんから、電話。ルイさんに送った小説原稿を、昨夜読んだとの事。最初は、作文みたいな書き出しだったから、なにこれって思ったけど、途中ならグングン引きつけられて、最後まで読んじゃったわよとおっしゃる。傑作でしょと、私。面白かったわ。僕が書いた小説の中で一番面白いでしょ。前に書いた小説の方が良いわね。ああ、あれもいいけど、なにせ、書いたばかりだからね。最後に書いた奴が最高だと思うもんだよ。書き手としては。でも良かった。褒めてくれて。ありがとう。じゃ編集する人に送るから。掲載されるには、三人の人のオーケーがいるらしい。堅物の大学教授だのなんだのが、見るらしい。この一件ハチャメチャな書き方の小説を評価するかどうかだね?

胸を撫で下ろし、少し横になっていると、まだまだやる事がある事に気がつく。自転車の後輪を修理しないとと思っていたんだっけ。自転車に乗り自転車屋さんに。後輪を全部交換すると、二万円かかるから、どうすると言われる。電動アシスト自転車は、修理に金がかかる。二万円なら、自転車が買えちゃう値段だもんね。しかし、買い換えるとなると、十万円だかんね。決断出来ずに、帰る。花屋に寄って、グロキシニヤを買う。スーパーにまた行って、洗濯洗剤と夜に作るおかずの為に、ひき肉、卵、ピーマン、ナス等を買う。帰ってから、風呂に入り、風呂から出て、塗りグスリを身体中に塗りまくる。こうして、休みの一日がすぎていくなり。

身体検査

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会社で、年に一度、身体検査を受けなければ行けなくて、本日、仕事を休んで検査に行って来た。検査をすれば、大抵どこか具合が悪いところが出て来て、再検査だの、生活環境の見直しなどを指導される。要するに清く正しく生きてねって事なんだろうが、そんなに健康を気にかけてなんて生きてない訳だよね。普通。三度三度、決まった時間に食事を取ることなんか出来なくて、もうその日その日の行き当たりばったりな訳じゃん。私の様に年取ってからのひとり暮らしの人は、どんどん多くなってくるだろうね。この超高齢化社会日本は。介護職だから、高齢者さんにはよく接する。みんな塩分少なめなおかずになって、ご飯がまずいって、文句を言ってる。味がしないって。それに、運動量が徹底的に少なくなるものね。足腰が弱くなって、動けないんだからさ。まるでお仕着みたいなリハビリで身体をちょこんと動かしてる。

公園に行くと、子供たちが走ってる。何をするにも、歩くなんて事はしないで走る。もうめちゃくちゃな運動量な訳で。走るのが楽しくてしょうがないみたいなんだ。よく子供はジッとしてないって、怒られるけどさ。高齢者は、ジッとしてるだけじゃん。ジッとしている事しか出来ない訳じゃん。あっちこっち行く子供を、若い母親が、必死に保護してる。母親に見守られている事を知って、子供は遊ぶ。ママ見ててって言う。安心して、遊ぶ姿は、最高に幸せな時だ。あん時程生き生きと生きてた時は無いって、思う。あん時程幸せな時はなかった。

東京拘置所矯正展

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外に出たら、雨なのに、人が大勢歩いていたので、先日貼ってあったポスターを思い出し、年に一度の東京拘置所の矯正展の日だったんだって気がつくき、喫茶店に行く前に、東京拘置所に見学に行きました。雨なので、じっくりとは見れませんでしたが、拘置所に入っている受刑者が作った様々な商品が展示されているのを、見て歩きました。記念に一点、札幌刑務所の烙印が押してあるコースターを購入いたしました。それが⬇︎

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ジミー・ツトム・ミリキタリ展

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東京都人権プラザで行われていた、ミリキタリの猫。路上の画家がのこした世界。「ミリキタリの猫【特別編】」上映&トークに行ってきました。定員80名、事前申し込み不要、当日先着順。14:00から。トークゲストは、作家の星野智幸氏。作家でミシュカの森主催の入江杏。この映画のプロデューサーマサ・ヨシカワ氏。

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ミリキタリ氏の作品も、とても味わい深いものでした。ミリキタリ氏の生活と過去を探る上映映画も、とても良かった。ニューヨークの路上で、絵を描き、それを並べて販売する。雨が降る。雪も降る。自らを芸術の巨匠と称する。

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戦争中は、収容所に収監された辛い過去を持つ。アメリカ国籍を剥奪され、アメリカを憎む。その為、国からの保護を受ける事もなく、路上で絵を売って生きるひとりの日系アメリカ人。彼を救ったのは近く住む独身のアメリカ女性。職業がドキュメント映画の編集者だった為、ミリキタリ氏の日々を撮影する。それが元で、映画「ミリキタリの猫」が出来た。

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ミリキタリ氏を撮影中に、9.11のテロが発生する。ニューヨークは、一時大変な事になる。かつての戦争の記憶が蘇るミリキタリ氏。日本人だったばかりに、収容所に収監された忌まわしい過去が、蘇る。広島出身の両親は、原爆で亡くなった。あの忌まわしい過去が再び、このニューヨークで起こった。