ikkou33’s diary

還暦を越えて( ´Д`)y━・~~

自己実現

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このところ、休日でも色々な用事があって、休んだ気がしなかったので、なんの用事もない日を作ろうと思い、本日有給を取った。なんの予定もないのって、すごくいい。いつ起きてもいいって、素敵。

さて、題名の「自己実現」に付いて、最近思った事を書きます。人生の目的は、自己実現にあるって、思っていた時期があります。絵を描いたり、本を読むのが好きだったから、自然に自分もそんな事をやって暮らせたらいいなあと、漠然と思って生きていましたね。正直。しかし現実はそんなに上手くは行かないので、生活の為に様々な労働に付きました。人間日々の稼ぎだけをやって生きていける訳はないので、恋愛したり、結婚したりしました。当たり前ですが。で、結婚すれば、子供が欲しくなるのは当然の事みたいで、子供を二人もうけました。その子を育てるのには、お金が必要なので、なおいっそう労働して生活を維持しました。当初の生きる目的だった絵描いたり、小説書いたりする暮らしからは、どんどん離れて生きますよね。自己実現からドンドン離れていく自分。

妻が病で亡くなったり、恋人から捨てられたりと悲惨な事が私を見舞い、もういい加減、生きるのが嫌になちゃいました。どうしていいのかわからなくなっちゃったのです。自己実現どころか、存在している事自体が嫌になった訳ですね。友人のトモさんに死にたくなったと訴えたら、キリスト教の教会に行きなさいよと忠告されました。牧師なら話を聞いてくれるからって言われました。で、教会に行きました。そこから、キリスト教が私に入ってきたのでした。その時の心境は、いわゆる世捨て人みたいな気持ちでした。シャバで受け入れられない自分がいて、さっさといなくなればいいのだけれど、それも出来ない自分がいて、この世にいる間は、しょうがないから、自分の為じゃなくて、人の為に生きようと思ったのです。ちっぽけな自分はもうないものだと思い、まだ現世で役に立つ身体が残っているから、その身体を使って、他人様を少しでも楽にして差し上げて、生きる喜びを感じて貰える様にしようと思ったのです。

キリスト教には、自己実現という考えはありません。「御心の天に成るごとく、地にも成させ給え。」と祈る様に、全ては神の栄光を現世に成就する為に、キリスト者は励む訳ですよ。自己実現の為じゃなくてね。私は絵を描くのが好きで、良く描いていて、たまたま私の絵を見た教会の人が、教会で行われる様々な行事のチラシを私に頼んできたので、教会、だから神様の御用の為に、私を使ってくれるのだと思って、描いています。自己実現の為じゃありません。

作家の保坂和志氏が作曲家がソナタを描くのは、ソナタ形式に奉仕する為だと言っています。小説家が短編小説を描くのは、短編小説の形式に奉仕する為だ。洋画家が油絵を描くのは、油絵という形式に奉仕する為だ。そのジャンルが生き残っていくには、そのジャンルの形式を今生きている人が、続けていくからなのだ。そのジャンルに奉仕する人がいなくなったら、誰も見向きもされないものになり、やがては忘れられてしまうでしょう。そういう打ち捨てられたものは、実はたくさんあるでしょう。でも忘れ去られたものは、もう誰も知らない。まるでなかったものの様になるでしょう。自己実現の為じゃなく、奉仕する為に、芸術はある。