ikkou33’s diary

還暦を越えて( ´Д`)y━・~~

安倍公房とはだれか

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大江健三郎のエッセイ

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「定義集」を図書館でダラダラ読んでいたら、安倍公房関連の本を読みたくなり、娘さん安倍ねりの安倍公房伝を読みだしたけれど、その隣にあったこの「安倍公房とはだれか」が刺激的な本だったので、借りてきた。

私の十代後半から二十代、三十代前半ぐらいまで、日本の小説なら、大江健三郎と安倍公房だけで充分だというほど、この二人の作家は、抜きん出た存在で、他の小説を圧倒していたと思う。大江健三郎の文体の奇妙さは、こんな日本語を考えられないと読むたびに思っていた。安倍公房の作り出す状況の摩訶不思議ぶりには、いつもワクワクした。安倍公房の「砂の女」は、傑作でしょう。この小説一編で、安倍公房はノーベル賞を受賞するべきだったと今でも強く思う。

そんな私の知っている安倍公房とは全く違う安倍公房が「安倍公房とはだれか」に書いてあって、安倍公房の活動の全体像が分かってきた。小説書きとしての安倍公房ではなく、ありとあらゆる方法を使って創作をするマルチメディア・アートの先駆者としての安倍公房像が書いてあった。音楽劇、ラジオドラマの製作者、映画、演劇の作者に飽き足らず、演出、はては安倍公房スタジオを作り、役者の演技指導までしている。よくこんな事をしながら、小説を書けたもんだ。しかも、奥さんの安倍真知さんも、素晴らしい才能がおありで、舞台の美術を彼女が手掛け、安倍公房以上の才能があると絶賛されている。彼のマルチメディア・アート時代は、時代の先導者として、世界中から、賞賛されていた。しかし、彼はどうしてもノーベル賞が取りたかったし、取れるはずだったと思う。晩年は、その為に、騒がしい世界を離れ、小説一本に絞って制作にいそしんでいたらしい。晩年は、家族から離れもした。晩年の彼を支えていたのは、女優の山口果林さんだった。ずっとその事を公表していなかったけれど、20年を経て、「安倍公房とわたし」という本を書いて、安倍公房との日々を綴っている。

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天才に惚れ込んだ若き女優と、老作家。

この本の最初のグラビアページには、老作家が写した山口果林の裸体の写真も載っているから、驚く。

山口果林がこの作家との生涯を賭けた決意の表れなのかな。

まあ、スキャンダルが好きなところは、許し下さい。