ikkou33’s diary

還暦を越えて( ´Д`)y━・~~

松方コレクション展

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上野の国立西洋美術館で開催されている「松方コレクション展」に行った。ヨーロッパの美術品が並んでいた。

印象派から、絵がガラッと変わる。暗い色調から、明るい色調に。画題も変わる。ごくありふれた日常の景色が絵になる。神話やら、歴史的な事件をテーマにした以前の絵とはまるで違う。印象派は、絵画で革命的な事をした訳だ。ゴッホのアルルの部屋が飾ってあった。他の絵を圧倒する光の反乱が、その絵から発散されていた。クラクラする程の明るさだった。ゴッホも良かったが、ゴーギャンも良かった。さすがに名を残す人の絵ではある。

 

ゴドーを待ちながら

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サミュエル・ベケットの戯曲、「ゴドーを待ちながら」を読んだ。いわゆる、不条理劇の古典と呼ばれる戯曲だ。初演が1953年1月5日バビロン座(フランス)。66年前の事。パビロン座では、そこそこ客が入って、劇は続いたみたいなんだけど、アメリカでは、散々だったそうで、幕間の後まで残ったのは、テネシー・ウィリアミズとウィリアム・サローヤンと、出演俳優の家族だけだったそうだ。ほぼ全く理解されなかった。まあ、そんなもんだろうね。読む限りでは、難解じゃないね。奇妙だけど!なにを目的にしているのか、分からないけれど、別にわかる必要はないよね。ゴドーが誰だか、分かったら、ちゃんと書いときますよと、ベケットは言ったそうな。作者が分からないなら、見てる人は分かりっこないからなぁ。ドタバタの喜劇の様でもあるね。そして、何が分かる分からないは、突き詰めいくと、わかんなくなるよね。ベケットは突き詰めてしまったのかも、知れません。

 

朝食を作った。

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本日は早朝の仕事を休んだので、自宅で朝ごはんにいたしました。

なんとなく、豪華そうな朝食^_^。

食べたら、教会に行きます。

そういえば、昨日の小説的思考塾で、テルトゥリアヌスの言葉で「不条理故に、我信ず」て言うのを、教わりました。テルトゥリアヌスじたい、誰だ分からないのだけれど、初期キリスト教の人だそうです。しかし、「不条理故に我れ信ず」に似たような事を埴谷雄高さんも言ってたよね。

小説的思考塾の4回目

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保坂和志氏の小説的思考塾の4回目に行きました。今回は人称の問題に絞って、お話しをされたのだけれど、事前のメールには、古井由吉氏の小説「背中ばかりが暮れ残る」を読んできてねと言う趣旨が書いてあったので、それがのっている本がうちにはなかったので、わざわざアマゾンで買い(自選短編集木犀の日)、読んでいったのに、その事には一切触れなかったので、ビックリ!流石保坂さんと、思った次第で、会が終わり、会場での二次会みたいな奴に残って、ビールを立ち飲みしながら、保坂さんにそれを指摘したら、そんな事を書いたっけと言いました。保坂さんの小説自体が、主題みたいなものから、ドンドン離れいく小説だから、もうなにを話題にしているのかがわかんなくなる様な小説だから、自分が書いた参加を呼びかける為のメール「今回は人称の問題をやりますから、事前に「背中ばかりが暮れ残る」を読んできてねに一切触れずに終わったのも、しょうがないと言えば言えるか。う〜ん!今回一番面白かったのは、アインシュタインが断固として納得しなかった「量子もつれ」の話し。量子が割れるかして、北と南に飛んでいくじゃないですか。とんでもなく遠くに。地球から木星ぐらいの遠くまで飛んで、その片方の量子を観測して、その量子が例えとして右回り

なっていると、片一方の量子がその瞬間、左回りになる。つまり、どんなに遠く離れていても、同時にそれが起こる。アインシュタインは、光より速いものはないって言ったのに、この現象は同時なんだから、光よりも速い訳だ。だから断固反対したそうです。で、これが小説の人称と何の関係があるのか、実は私には分からない!のでした。

花筐(はながたみ)

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埼玉県蕨市で、市民映画祭というイベントがあるのを知った。今年は第6回で、大林宣彦監督の「花筐」を上映し、そのあと、大林監督のトークイベントがあると言うので、日曜礼拝の後、急いで蕨市まで行った。大林監督は、末期の肺癌で、余命宣告も受けていると、ネットのニュースで知っていたから、もしかしたら、これが最後の映画作品になるのかも知れないし、監督自身に直接会う機会なんて早々ある訳じゃないとの思いもあったのだった。「花筐」の原作は、檀一雄の初期の短編小説だそうだ。檀一雄と言えば、最後の小説「火宅の人」がめちゃくちゃに良かったのを思い出す。原作の映画もとても良かった。大林監督とも、ずっと昔に、お会いしたことがある。知り合いの同人誌作家の会で、大林監督が来ていて、ピアノを弾いていた。その姿をみんなが携帯カメラで撮っていた。あの頃はとてもお元気で、お話も感心させられた。映画「花筐」は、佐賀県唐津市が全面協力して、作った。唐津くんちが映画を飾る。常盤貴子の美しさが際立った。怪しい美しさが、忘れがたくあるね。上映後のトークイベントでは、監督は車椅子で登場した。病を押しての登場だった。

心のずっと奥の方

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投稿は久しぶり。展示会の余波でクタクタ。しばらくは何も考えたくない状況。

展示会の打ち上げとかで、関わってくれた人と、交わりを深くしたのが、良かった事なのかなあとはと思う。

打ち上げの席で、横に座って人は国家公務員で、その横は博士号を持っている医者で、前は牧師夫妻で、その牧師夫妻の横には、会社の幹部だった職を投げ打って、牧師になるべく今年から大学院に通っている人で、ギリシャ語を必死で勉強していて、与太者の様に生きている私とはエライ違いの人たちばかりって訳で。

教会に通わなければ、多分一生、こんな風な交わりを持たなかった人たちだと思う。銀座にある教文館とも、全然関わりがなく生きていたと思う。ただ一人でボソボソと絵を描いていただけだ。別にお金を払って、会場を借りて、絵を展示しようとも思わなかった。

絵を描く。本を読んで、触発されて考える。それで自分でその考えを元にして小説を書く。穴倉に閉じこもってそんな事をやっていただけだ。

今もグダグダしながら、でも考えている。頭の中だけでは、考えは先に進まない。だから具体的に手仕事が必要なんだと思う。

ブルーハーツが歌ってる。

「答えはきっと奥の方

 心のずっと奥の方。

 涙はそこからやってくる

 心のずっと奥の方」