苦海浄土 第二部 神々の村
苦海浄土第二部神々の村 第一章、冒頭付近の文章の抜き書き。
言葉という単なる記号に、命が吹き込まれると、生きた言葉となって、読む我々の心を、揺さぶる。苦海浄土のいたる所に、魂の深き言葉が立ち現れる。その一例。⤵︎
人間は、お米さまと、魚(いおども)と、草々に、いのちをやしなわれて、人間になるものぞ、そのお米さまを、天草では、天下百姓の衆がどのように、艱難辛苦して、つくりよったものか。
天草は海の潮にはめぐまれたが、真水にはめぐまれん島じゃけん。八月の日でりを超えて、赤セブン(トンボ)の飛んで来て、稲の花が咲き出す盆のころまでは、夜星さんを拝んで、朝星さんを拝んで、爺やんがかかさまたちの辛苦ちゅうもんは、話にも語りきれん。そのようなおもいをしてつくったお米をば、都におらす天下さまにさしあげ申すのが、天草の天下百姓じゃった。
米という字をなんと書く
八十八夜を逆さに暮らす
ちゅう唄ほどに、女ご衆たちの苦労ちゅうもんは、田植えの前のかきし切り、水あげ、前肥、もみ蒔き、稲とり、あぜ塗り、代しろおし、田植え、稲えたおし、追い肥、あぜ切り、草とり、虫とり、虫追い、雨乞い。
ほんにほんに、体を逆さにして自分の髪毛かんげさえ稲といっしょに植えこまんばかりじゃぞい。
苦海浄土第二部
神々の村