ikkou33’s diary

還暦を越えて( ´Д`)y━・~~

夕礼拝の司式

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ニワトリを描きました。

日曜日の夕礼拝の司式係を仰せつかり、うろたえました。

必死に原稿を作りました。それが以下です。⬇️

夕礼拝

⒈ただいまより2018年7月29日、聖霊降臨節第11主日の夕礼拝を執り行います。

⒉前奏

⒊招詞 1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2この言は初めに神と共にあった。 1:3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 1:4この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 1:5光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。ヨハネ福音書

⒋賛美  賛美歌 2-59 番

使徒信条  週報の裏にあります。

                 我は天地の造り主、全能の神を信ずる。我はその独り子、我らの主イエス

     キリストを信ず。(以下略)

 

                 お座り下さい。

⒍祈祷(きとう)イエス・キリストの父なる神様、あなたの御名を賛美いたします。

    私たちは聖霊によって今夕もあなたの御心に満ちた会堂に導かれ、石丸牧師を通して、神の御言葉に接する事ができる事を感謝いたします。

ヨハネ福音書1章には、はじめに言葉があった。言葉は神と共にであったと、書かれてあります。そうして言葉には命があり、命は人の光であると、つづられておりました。今年3月に父親の虐待によって死亡した女児は、ノートに親に命じられたまま、反省文を書かされていて、その言葉が残っておりました。彼女の置かれていた状況が、彼女の言葉で綴られていて、胸をえぐられました。あの言葉には、彼女の必死の命が宿っておりました。今月はオウム真理教で、死刑を宣告された人たちが、全員、刑に処せられました。その中の常に進んで汚れ役を買って出た林泰男死刑囚の判決において、木村裁判官は「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運であった」との述べていました。これもまた、忘れられない言葉でした。様々な言葉によって、私たちは右往左往してしまいます。神の光からの言葉で、どうか心が浄化しますように。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン。

⒎では、約1分間の黙祷をいたします。各自が持ち寄った悔い改めの祈りをお捧げ下さい。

    黙祷。(もくとう)

  主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。

⒏黙祷を終わります。本日の説教個所は、ハイデルベルグ信仰問答128~129。116ページです。朗読します。朗読の後、石丸牧師から「ハレルヤ・アーメン」と言う題で説教をして頂きます。

⒐朗読

賛美歌 20 番

11.主の祈り。週報の裏に記載されております。

  天のまします我らの父よ、願わくば御名を崇めさせたまえ。御国を来らせ給え。(以下略)

12.献金献金祈り

13.頌栄、賛美歌542番、祝祷、後奏をもって本日の礼拝を終わります。