ikkou33’s diary

還暦を越えて( ´Д`)y━・~~

ベゴニア

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綺麗な花ですね。ベゴニア。

それにしても私は無知で、ほぼ何も知らないと言ってもいい。花の名前なんか、全く分からない。野菜の名前も、どうやって料理するのかも、分からない。スーパーには様々な食品が並んでいる。まるで無限にあるかの様だ。なにに使うのかも全く分からない食品が並んでいる棚を見ていると、めまいがする。私、こんなに何も知らなくてよく生きてたなぁと思う事がある。じゃがいも、玉ねぎ、人参、ほうれん草、小松菜、ピーマン、ナス。後は何だろう?チューリップ、ユリ、ひまわりにバラ。後は何だろう?魚の名前も分からない。バカなんじゃない。

自己実現

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このところ、休日でも色々な用事があって、休んだ気がしなかったので、なんの用事もない日を作ろうと思い、本日有給を取った。なんの予定もないのって、すごくいい。いつ起きてもいいって、素敵。

さて、題名の「自己実現」に付いて、最近思った事を書きます。人生の目的は、自己実現にあるって、思っていた時期があります。絵を描いたり、本を読むのが好きだったから、自然に自分もそんな事をやって暮らせたらいいなあと、漠然と思って生きていましたね。正直。しかし現実はそんなに上手くは行かないので、生活の為に様々な労働に付きました。人間日々の稼ぎだけをやって生きていける訳はないので、恋愛したり、結婚したりしました。当たり前ですが。で、結婚すれば、子供が欲しくなるのは当然の事みたいで、子供を二人もうけました。その子を育てるのには、お金が必要なので、なおいっそう労働して生活を維持しました。当初の生きる目的だった絵描いたり、小説書いたりする暮らしからは、どんどん離れて生きますよね。自己実現からドンドン離れていく自分。

妻が病で亡くなったり、恋人から捨てられたりと悲惨な事が私を見舞い、もういい加減、生きるのが嫌になちゃいました。どうしていいのかわからなくなっちゃったのです。自己実現どころか、存在している事自体が嫌になった訳ですね。友人のトモさんに死にたくなったと訴えたら、キリスト教の教会に行きなさいよと忠告されました。牧師なら話を聞いてくれるからって言われました。で、教会に行きました。そこから、キリスト教が私に入ってきたのでした。その時の心境は、いわゆる世捨て人みたいな気持ちでした。シャバで受け入れられない自分がいて、さっさといなくなればいいのだけれど、それも出来ない自分がいて、この世にいる間は、しょうがないから、自分の為じゃなくて、人の為に生きようと思ったのです。ちっぽけな自分はもうないものだと思い、まだ現世で役に立つ身体が残っているから、その身体を使って、他人様を少しでも楽にして差し上げて、生きる喜びを感じて貰える様にしようと思ったのです。

キリスト教には、自己実現という考えはありません。「御心の天に成るごとく、地にも成させ給え。」と祈る様に、全ては神の栄光を現世に成就する為に、キリスト者は励む訳ですよ。自己実現の為じゃなくてね。私は絵を描くのが好きで、良く描いていて、たまたま私の絵を見た教会の人が、教会で行われる様々な行事のチラシを私に頼んできたので、教会、だから神様の御用の為に、私を使ってくれるのだと思って、描いています。自己実現の為じゃありません。

作家の保坂和志氏が作曲家がソナタを描くのは、ソナタ形式に奉仕する為だと言っています。小説家が短編小説を描くのは、短編小説の形式に奉仕する為だ。洋画家が油絵を描くのは、油絵という形式に奉仕する為だ。そのジャンルが生き残っていくには、そのジャンルの形式を今生きている人が、続けていくからなのだ。そのジャンルに奉仕する人がいなくなったら、誰も見向きもされないものになり、やがては忘れられてしまうでしょう。そういう打ち捨てられたものは、実はたくさんあるでしょう。でも忘れ去られたものは、もう誰も知らない。まるでなかったものの様になるでしょう。自己実現の為じゃなく、奉仕する為に、芸術はある。

悲しみよ こんにちは

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マリー・ドミニク・ルリエーヴルの「サガン」を読んだ後は、流れとしてサガンの「悲しみよ こんにちは」を読む訳ですよ。図書館のフランス文学の棚には、サガンの作品は少なくて、女流作家ならマルグリット・デュラスの作品がいっぱい並んでいた。サガンは生涯、大作家とは無縁の小説家だったのかな?65才で読む、サガンが18才で書いた「悲しみよ こんにちは」は、ほぼ私に関係ないもんねーみたいな気持ちがする。舌を巻く程のうまさだねぇとは思うけどね。

目が見えなくなり、創作活動をやめたサルトルとは、良く食事を共にした様だ。私より頭がいい人ってサルトルぐらいってサガンは言ってる。サルトルも才能ある若い作家と食事をするのは、楽しみだったみたい。当時のフランス大統領だったミッチェランも良くサガンの家に行き食事をするのが好きだった。大統領専用のヘリコプターがサガン邸の庭に飛来していたんだって。なのに晩年の彼女は、全てを失い、窮乏の中で亡くなる。波乱に富んだ才女だね。

 

 

無償の愛

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生まれてきた赤ちゃんは、ただ生まれてきただけで、無条件で愛される。赤ちゃんは何も出来ない。歩く事はおろか、ひとりじゃ寝返りもできやしない。誰かに四六時中世話してもらわなければ、食べることだって、出来ない。だけれど、その家庭の中で、一番愛される存在だ。そんな時期は、赤ちゃんの時だけだ。成人になれば、人を無条件で愛する事はほぼ不可能だろう。可愛い顔だから、愛されるだとか、仕事が出来るから評価されるだとか、面白いから好かれるかだとか、スポーツが出来るから尊敬されるとか、愛されるのには、必ず条件が付いてくる。幼児期に無条件で愛された経験があるからこそ、人は人を信頼する事が出来る。何も出来なくても、ただいるだけで、愛された経験は、その人が生きる上で最も重要な土台となるだろう。幼児期に親から無償の愛を受けなかった人。逆に親から虐待を受けて育った人は、生涯、他人に対して自分を預ける事が出来ないんじゃないのかな?常に警戒しながら、他人を見る。いつまた自分を裏切るだろうと思いながら、人と接する様になるだろう。文ちゃんとの交際で厄介なのは、その事だ。彼女は、幼児期に親から虐待されたんだよ。

夕されば小倉(をぐら)の山に鳴く鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寝(いね)にけらしも

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さっきぼんやりと考え事をしていたら

夕されば小倉(をぐら)の山に鳴く鹿は今夜(こよひ)は鳴かず寝(いね)にけらしも』

の短歌が頭に浮かぶ。中学の古典の時間に、万葉集の短歌をいくつか暗記させられた。

その中の一首だ。

雄鹿が、雌鹿を恋しがり、鳴く声が聞こえるのだが、今宵は鳴き声が聞こえないので、どうやら寝たらしいという意味だそうだ。

女恋しさに、男が鳴くって唄だよね。煎じつめて言えば!

さっき教会で知り合ったご夫婦の奥さんからラインがきて、なんだか今日は寂しそうだったから、ラインしましたって書いてあった。見た目、寂しそうだったのか私。

う〜〜ん。そうだったのか。

原因はなんだろか。多分文ちゃんの事かも。

今年に入って、全然電話が来なくなった。去年の暮にちょっとした事があった。それ以来、電話がない。留守電で、なんで電話くれないのって聞いたら、混乱しちゃってとメールがきた。またかよって思った。こうしてまた何年も連絡が来なくなるのかなって思った。そうなんだよ。文ちゃんって、そういう女性なのよ。精神的な病を抱えている様なんだ。さてどう対処しようかとずっと考えている事は考えている。

「最後まで耐え忍ぶものは救われる」って聖書には書いてあるから‥。

 

小説的思考塾

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https://twitter.com/HosakakazushiO/status/1104212868507955201?s=20

私が好きな作家と言うか、文学及び思考の水先案内人とでも言うべき作家の保坂和志氏のツイッターをずっとフォローしていて、そのツイートはほぼ彼の元にいる猫の行動ばかりなんだけれど、たまに文学とか音楽とか芸術の事をツイートしていて、この小説的思考塾の案内も、猫の行動報告の合間にあった。ミーハーではないので、保坂和志本人に直接会いたいとは、最初思わなかったけれど、例えて言えば、演奏をCDで聴くのと、ライブやらコンサート会場で直で聴くのとでは、天と地ほどの違いがある事を思えば、彼の話を直で聴くのに、いい機会かもしれないと思い直して、予約した。保坂さんともなると、知る人ぞ知るみたいな立ち位置にいるから、ほぼ若い学生ぽい人ばかりなのが、40人ぐらいいて、会場は満席だった。受け付けで、A-3の紙にコピーした彼の今日のトークメニューを頂く。手書きでびっしり。これだけだと、なにがなにやら分からない⬇︎

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そうして、立ったり座ったりしながら、1時間半を喋った。話は、やはり彼の小説の様に支離滅裂な展開になるのだけれど、面白い。ライブはいいし、そう滅多に見れる機会もないかも知れないから、また機会があったら、行こうと思いました。

バック

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おはようございます。

メリカリで、犬印鞄製作所🧳のバックを購入いたしました。

値段は送料込みで881円でした。

丁寧に使い込んだ様子が分かり、ちょっとした骨董品を買った様な気分です。

本日午後は、作家保坂和志氏の小説的思考塾に行く予定です。小説的思考塾は、第2回目だそうです。

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